ドルオタちょあよ

ドルオタ美大生のちょあちょあ日記

絵を描くために必要なのはセンスではなく、学習能力だと思う話

 

 

こんにちは〜

私は美術大学に通っています。他人にそのことを伝えると

 

美大生?めけてさん、芸術的センスがあるんだね〜」

 

このような言葉をよく言われます。

 

わ た し も そ う お も っ て い た 

 

人は生まれたときから芸術的センスに優れた人間と優れていない人間がいる。

私は前者であると。絵の上手い下手は才能によるものであると。自分は天才だと。

 

しかし、残念ながら違いました。美術を真剣に学んでいくうちに、生まれつき芸術的センスに秀でた天才は存在しないのではないかと思うようになりました。

 

代わりに、絵が上手くなるために必要なもの。それは学習能力だと言いたい。 

 

絵が上手くなりたいのにすぐ諦めてしまうそこのあなた、絵がヘタであることを恥じているあなた、どうか私の話を聞いてください。

 

私の調子に乗りまくりの半生

 

美大に通っていると言いましたが、私が美術を本格的に学び出したのは高校に入ってからです。

 

小さい頃から漫画やアニメ、可愛い女の子が大好きで、少女漫画ばっかり描いている子どもでした。小学生の頃はイラストコンテストに応募すれば毎回何かしらの賞が取れていたし、よく校長室の前で自分の作品が飾られていたことを覚えています。

 

しかし中学校では陰キャくさい美術部を嫌がり、文化部の華である吹奏楽部に入部しました。野球部の彼氏をゲットして、陽キャになりたいという思いで入部しましたが、あえなく撃沈。自分としてはノリノリで演奏していたところ、顧問から「めけてさんのクラリネットは音楽を楽しんでいるように聴こえない」という辛辣な言葉をくらい、音楽への興味を失いました。

 

そんな私は改めて美術に向かい合いたいと、今度は美術科が有名な高校に進学。家族を説得しきれず、美術科とは別の学科に在籍することになってしまいましたが、先生のご厚意で美術科の生徒とともに美術の授業を受けられることになりました。

 

今度こそバラ色の学校生活が待っている…

私は期待に胸を膨らませていました。

 

高校で一番デッサンがヘタだと判明

 

高校に入学してすぐ、デッサン会というイベントが行われました。 美術科全学年はもちろん、私のように美術科ではなくても、美大への進学希望者は全員参加でした。

 

私には自信がありました。小学校では絵が上手だと先生から、親から、友達から、とにかく褒められまくっていたから。中学では吹奏楽部だったけれど、美術部の子よりも絵が上手かった。未経験だけど、デッサンだってきっと上手くいくはず。

 

描きあげたデッサンに私は満足していたし、先生も「美術科じゃないのにこんなにかけるなんて」と驚いてくれました。

 

だがしかし。

私は知らなかった。

 

完成したデッサンを先生が上手い順に並べるということも、デッサンの出来をみんなの前で講評されることも、私は知らなかった。

 

150人ほどの作品が集まる中、私の作品は一番端っこにありました。

 

端っこにある作品は一番上手いか一番ヘタかのどちらかしかありません。

無論、私は後者でした。

 

ちなみに、一番上手だった人は東京藝大志望の先輩だったそうです。ここは東北のド田舎だというのに、先輩は春休みに都内の美術予備校に通っていたらしい。そりゃ上手いだろうよ…(ちなみに先輩は現役で藝大に合格されたそうです)

 

そもそも美術科は実技試験があるため、高校受験のために地元の美術予備校に通っていた人がほとんどでした。学科試験のみで受験し、デッサンをしたことがない私が太刀打ちできないのも当然なのです。それなのに自信マンマンだったことが恥ずかしい…

 

私は初めてのデッサンで一番ヘタであると周りにバラされ、散々な結果で終わりました。

 

デッサン授業は地獄だったが、美術を諦められない

 

初めてのデッサンで恥を知った私ですが、デッサンの授業は毎週ありました。

 

とても辛かったです。自分が一番ヘタクソだから。明らかに自分の講評が一番長くて、講評の最後には決まってもっとよく観察しろと言われているのです。

 

めけて:いや観察してるやんけ!よく見てるからこことは、こう描いて…

 

先生:練り消しでケシケシー「ここ描き直して」

 

めけて:(そこ一番力入れて描いたとこやんけ…)

 

こんなことがしょっちゅう。

真剣に描いたところに限って先生に練り消しで消され、描き直すように言われるんです。これが結構つらい。

 

何が上手くて何がヘタか、はじめのうちは全然わかりませんでした。どうして私の絵はあんなに不評なのか、どうして美術科の子たちはあんなに上手く描けるのか。

 

でも音楽とは違って、美術を諦めることはできませんでした。絵を描くことが好きだったからです。美術を学ぶために高校を選んだからです。自分が選んだ道をそう簡単に捨ててしまっては、自分の好きという気持ちを放棄するみたいじゃありませんか。

 

それに、私はみんなの前でデッサンをメタクソに講評されるのがつらいのであって、絵を描くことに対して嫌だと思ったことはありませんでした。物を観察して、それを紙面上に再現するという行為はとても楽しかったです。ただヘタクソなだけであって…

 

先生にメタクソに言われながらも絵が好きという気持ちを信じ、私はデッサンをし続けました。そこで、ある一つの発見をしたのです。

 

デッサンにはコツがいる 

 

デッサンをしているとき、先生がアドバイスすることはいつも同じでした。

 

パース(遠近感)は狂わないように。

立体物は線ではなく、面でとらえるように。

細かいところに気を取られず、全体を見るように。

明るいところと暗いところの差をつけるように。

 

そして、最後まで諦めずに“作品”に向かうように。

 

これらはデッサンをしたことがある人にとっては馴染み深い言葉だと思います。私が一番先生から注意されていましたが、他の美術科の子たちも同じことを言われていました。

 

特に私は細かいところに気を取られず〜というやつが本当に苦手でした。↓の石膏像でいうと、身体や服、髪ではなく、目や鼻、口などの小さなところに意識が集中してしまいがちでした。 

 

 

最初の石膏デッサンがモリエールの正面で、全然描けなかったのを覚えています。

 

先生からは、毎回全体を見ろと注意されていたのですが、当時は意味が全然わからなかったです。今となっては目も口も鼻も髪も服も身体も、均一に力を入れるようにしろ、ということだとわかりますが。

 

確かに絵が上手い先輩はすぐに顔のパーツに手をつけず、先に身体を描き込んでいました。画面の半分は身体になるのですから、画面の割合的に少ない顔のパーツを仕上げるよりも先輩のやり方のほうが効率がいいです。顔のパーツが上手い絵よりは、身体が上手く描けているデッサンの方がクオリティが高く見えます。

 

私は高校生の頃、先生から「よく観察しろ」と言われ続けてきました。この言葉の意味は今となってはよく分かる。観察していないんじゃない、観察したいところを無意識のうちに自分が選んでいるのだと。

 

私は描きたくないところから逃げていただけなのです。石膏像の例で言えば、目・鼻・口は描いていて楽しいけれど、身体は描きたくない、みたいな。これが私のクセです。

 

私のクセの原因は、おそらく少女マンガのマネのしすぎなんですよ。目は大きく、鼻は小さく、顔まわりに意識が集中しすぎるイラスト。小学生の頃に描いていた絵は「きらりんレボリューション」の影響を受けまくっていました。細部にこだわる少女マンガの絵しか知らないから、身体を描くのが苦手だし、全体を見ることができなかったんだと思います。

 

対して、絵が上手い美術科の子たちは、私とは描いた枚数が全然違います。その分いろんなモチーフを描いたことがあったでしょう。

 

球体、円錐、正立方体、りんご、瓶、ティッシュボックス、自分の左手、ペットボトル、霧吹き、石膏像、人物、紙袋、植物、ヌード、などなど…

 

たくさん描いた分、自分の得意不得意や、モチーフの見方のクセを理解しています。それにモチーフに対して「うっ…これ難しそう…」とひるまない、諦めない。

 

例えば、自分は瓶のキラキラを表現するのが苦手だから、そこを重点的に描いていこうとか、前回瓶を描いたときは先生からこう言われたから、今回はこう描いてみよう、とかね。対策を立てて、戦略的にデッサンできるのです。

 

これが学習能力です。

 

才能・天才・センスは禁句ワード

 

私が最近読んでいるマンガにこのようなセリフがあります。

 

芸術に関心がなかった主人公が先輩の絵画作品に感銘を受け、東京藝大を目指すというストーリーです。こちらは主人公と先輩の会話。

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 「才能なんかないよ 絵のこと考えてる時間が他人よりも多いだけ」

 

「手放しに才能って言われるとなにもやってないって言われてるみたいでちょっと……

  

そう、芸術を真剣に学んでいる人からすれば、天才という言葉は不快にさせる。努力をないがしろにされたような気がするから。

 

逆に才能・天才という言葉は、努力をしていない人のことをつけあがらせるのです。 かつての私のように。

 

ですから、天才という言葉はそう簡単に使うものではありません。絵が上手い人というのはそれなりの数、絵を描いているものとみなした方がいいです。

 

私が小学生の頃、絵が上手いと褒めそやされていたのは、単純に絵を描く数が人よりも多かったからでしょう。クラスのみんなが休み時間にケイドロをしている間、私はずっと絵を描いていました。自由帳が手放せなくて、人に見せられなくて、ずっとウズウズしていたんです。マンガ家になりたいと小さい頃は真剣に思っていました。

 

中学では一度美術から離れ、音楽に挑戦してみましたが、今思えば顧問の言葉も少し納得できるんです。中学生の私は観客のことを楽しませようとせず、自分のことばかり考えていたから、自分と観客が感じている私の音楽のギャップに気づけていなかったのではないかと。私に音楽の才能がなかったわけではありません。客観性がなかったということです。

  

物を正確にとらえるということはとっても大変です。無意識のうちに誰もが見方のクセがついているからです。

 

それを解消するにはデッサンをたくさんして、自分のクセを知るべきです。そして、クセを意識しながら絵を描く。自分だけのコツを知るのです。

 

そのコツを掴みし努力家こそ、絵がドンドン上手くなっていくのです。

  

以上!!!

よかったらこちらのマンガも読んでみてください!夢に向かって無我夢中になる姿があまりにもまっすぐで、私には少々眩しいくらい、いい漫画です。

 

 

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